2010年の別れ
2010年知人との別れ
*35年来、付き合いのあったジャズバンドメンバー
屋良文雄
6月 享年(69歳)癌で死去
沖縄のジャズ界をリードして来た人物で最後はジャズ協会の会長を務めボランティア・チャリティーコンサートその他、社会福祉に貢献してきました。昔は久茂地のジャズボックスで朝まで飲み明かし人生について語りあったものです。その後は泉崎に「寓話」を奥さんと開店し多くのジャズファンを魅了しました。どもり気味のしゃべり方でわありましたが、人に対する思いやり、優しさが顔に現れて何でも話せる先輩でした。 合掌
照屋紀男7月31日 享年(68歳)気管支癌で死去
戦後、屋良文雄さん等とair baseでジャズバンドを組み活動してきました。その後、県内でジャズ演奏をしその基礎を築いてきました。父親が他界し、長男である照屋紀男は大宜味村大保に帰りハルサー(農業)をしながらハルサー ピアニストとして子供たちのピアノ教室を開き、週末には名護のライブハウス「城」で後輩の育成に尽力を注ぎました。私たち家族は週に2・3回大保に遊びに行き畑で大根を抜いたりパイナップルを取ったり、友人と山小屋を造り夜は酒を飲み楽しいひとときを過ごしました。その経験で3人の子供たちも良い大人になりました。ほんとにありがとうございました。 合掌
南絹子12月 享年(68歳)肺気腫で死去
南さんは某テレビ局の田辺製薬の◎5歌謡大会で優勝し、歌の世界に入りました。その後、屋良さん・照屋さん等に出会いジャズの世界に入りジャズボーカルとして活躍してきました。近年はライブハウス「寓話」で、その美声でジャズファンを魅了してきました。その歌声が忘れられません。ありがとうございました。 合掌
*仲嶺宏明
7月 享年(60歳)肝硬変で死去
高校・大学・東京(社会人)といつも一緒だった無二の親友!
人と話すのが大好きで明るく場を盛り上げるのが上手でした。しかし近年は原因不明の病気で足が不自由になり仕事もできず、家に居る毎日が続いていました。朝から泡盛を飲む日が日課となりました。(皆さんも酒の飲みすぎには注意を!各言う私もですが?)今思うに人と話するのが好きな故にほんとは寂しがりやだったと思う。インターネットをしていれば心の中を吐き出せたのでわないか?「後悔 先に断たず」 彼は死ぬ前の日、お腹には水が溜まり動ける状態ではないのにベッドから急に起き上がり洋服に着替える言い出した。奥さんが「どうしたの?」聞くと「ユキオのとこに行く!」 合掌
*上原義雄11月13日 享年(72歳)リンパ腫癌で死去
かみさんのいとこで実業家です。
生まれ年(寅)の時、鉄骨で右足を砕く事故で義足になり、一代で120億の会社に育て上げた尊敬する人物です。若いときは空手をし、健康には人一倍、気を付けていました。他人には優しく、仕事・自分には厳しくしてきた人です。葬儀には何千人が弔問き、供花は100・200あり祭壇はいままで見たことのない美しいものでした。
最後、奥さんに言ったことば「みよ ヤーヨカ サチカイ イチュンチ ウムランタン ユルチキリョー」 合掌
毎年・毎年 友人、知人が他界して行くと寂しくなります。今出来ることを楽しく、精一杯生きて行こうと思います。
ご冥福をお祈りします
今一度
合掌
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